都内に勤めて6年。高層ビルに切り取られた小さな空では、雲が流れているかどうかもわからない。
毎日通う道に伸びるビル影の長さで、日が長くなったことを感じる。
着飾って、目の前の物を消費して。
物質的に豊かになった私は、その引き換えに大事なものを失っているんじゃないかとふと立ち止まるときがある。

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心のゆとり

田舎育ちだった私は、昔はもっと季節の変わり目を全身で感じていた。
新しいことを始めたくなるような春の匂い、夏を告げるセミの鳴き声。
落ち葉の上を歩くカサカサという音、しんと静まりかえった冬の空。
1人で歩いていると心配してくれる近所のおばさん。
坂道で自転車を押して上がるおじいさんを手伝う、見ず知らずの子どもたち。
目に見えるかたちでたくさんの人に支えられながら生きていた実感があった。

その他大勢の1人

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毎日満員電車に揺られ、どんどん心がすり減っていく。
肩がぶつかっても誰も謝らない。時たま聞こえる心無い舌打ち。
すれ違う人々は皆、何かに追われているような顔つきで足早に去って行く。
立ち止まって空を見上げることは、通りの向かい側にあるビルのスクリーンに映し出されたニュースを見るときぐらいだ。
大都会「東京」を構成する、その他大勢の1人である私は、世界から見たら取るに足らない存在なんだろうな、と思ったりする。

歯車の1つ

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会社は、社会を動かすための大きな歯車の1つ。
そして歯車である以上スピードを勝手に緩めることなんてできない。
コンビニが24時間営業になったり、お正月に営業する店が増えたり。クリック1つで情報が手に入ったり、欲しい物がその日に届いたり。そんなふうにして少しずつ速度を速めていった歯車。
ついていけなければ、すぐに社会という巨大な仕組みからはじき出されてしまうだろう。

そして歯車を構成するパーツとして働く以上、サラリーマンである私たちは絶え間なく動き続けることが求められる。
社会という巨大なシステムがどこへ向かっているのかなんてわからない。
歯車の1つ、パーツの1つ。
皆がなんとなく、世の中の出来事に対して他人事だと思ってしまうのはそのせいかもしれない。
「別に自分じゃなくたって」「他にもいっぱいいるじゃない」と。

皆が疲れているから。皆が頑張っているから。

道端に座り込む学生や、電車に揺られながらおぼつかない足取りで立ち続ける老人や妊婦。
席を譲らない人たちも別に根っからの悪者なんかじゃない。
相手が友達だったらきっとすぐに声をかけるだろう。
人々は皆、それほどまでに心に余裕がなく、また「別に自分じゃなくたって」「他にもいっぱいいるじゃない」と他人事のように感じているだけなのではないかと思う。

誰かが何かを我慢しなければ成り立たない

だけど座席の数は限られていて。
電車だけじゃない。あらゆる物事において、恩恵を受けられる人の数は限られている。
「自分だけじゃない」と声を上げるのは簡単だけど、誰かが何かを我慢しなければ世界は成り立たないのだ。

目の前で起こる事から目を背け、手のひらに収まる世界へ没頭するのは楽だ。
だけど現在ここで起きていること、目の前にいる人への想像力を働かせることが大事なんじゃないだろうか?
相手の立場になってみること、相手の気持ちを考えること。
時間や仕事に追われ、いつの間にか想像力を失ってしまっているのではないだろうか。

優しさを失ったなんて大それたことではない。
目の前の出来事に対して、もう少し想像できる大人でありたいと思う。