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子どもの頃の”なりたかった自分”になれていますか?
サッカー選手になりたかった。
宇宙飛行士になりたかった。
歌手に、アナウンサーに、パイロットになりたかった・・・。
私は、野球選手になることが夢だった。
物心ついてから高校生までずっと、毎日毎日野球ばかりしていた。
高校3年生の夏、その夢は破れ、大人になった私は会社員になった。
毎日頭を下げて仕事して、休日はTVの野球放送に口出しばかりする典型的な親父だ。
そして、その夢を我が子に託せるものか悩んでいる。

今はまだ

まだまだ野球のまね事を「たのしい」と遊び感覚でやっている我が子。
このまま遊びで終わってしまうのか、本気で打ち込むのかは本人次第だが、つい自分にできることがないか探してしまう。
せっかく興味を持ったんだ、応援したい気持ちはもちろんある。
だけど、自分が目指した道だからこそ知っている厳しさと現実。
息子のポテンシャルに期待したい気持ち、“親がオレじゃなあ”と勝手に限界を感じてしまう気持ち。
能力が認められてプロになれたら言うことなんてない。
だけどいつか、叶う保証がない帰路に立たされてなお「海外へ行きたい」「本気でこの道に挑戦してみたい」と言われたとしたら、自分は背中を押すことができるだろうか?

どこで諦めたんだろう?

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自分が野球をやっていたとき。
いつからか、「自分には無理だ」と自分の限界を思い知るようになった。
だけど思い返してみると、小学生のとき、中学生のとき。
同じリーグで戦った“あいつ”。県大会で最後まで争った“ライバル”。
そう遠くない関係で、夢を叶えて活躍している人がいる。
中には「まさかアイツが?!」と思える人物が、会社勤めを辞めてまで、何度も何度も挑戦した結果、社会人リーグで活躍していたりする。
たとえ細々とでも、“やりたい事”を叶えた彼を尊敬する気持ちが芽生える。
ほんのちょっとの違いが生んだ、大きな結果。

長い目で考えたら

スポーツ選手や音楽家、芸能人。明日が保証されていない職業に比べたら、サラリーマンは優秀な職業だ。今すぐ「戦力外通告」をされることなんてないし、毎年給料が大幅に増減することもない。
長く勤められる可能性だって高いし、ローンを組むときの信用度合だって、会社勤めの方が上なんだぞ。
そもそも、今までの人生少しでも違えば、奥さんにも子どもにも巡り会えていないんだから、自分の人生が間違っていたなんて思っているわけじゃない。
だけどそうやって、自分を言い聞かせている自分がいるのも確かだ。
「もしもあの時・・・」と想像してしまうことからは、ぼけるまで一生離れられないのかもしれない。

「効率」なんて通用しない

ビジネスパーソン

ほんのちょっとの差を縮めるために。
小学校や中学校。子どもが「本気でやりたい!」と思ったときにすぐに打ち込める環境のある私立に入学させてやることは、親のエゴなんだろうか?
一番吸収できる年代に少しでも整った環境を与えてあげることが、夢を叶える“ちょっとした差”だったんじゃないか?と思うのは自分だけなんだろうか。
「子どものため」なんて大儀を振りかざすつもりはないけれど、後悔してほしくないから、自分にできることは少しでもしてあげたいと思う。
だけど「親の期待に応えたいため」に野球をするようになってほしくないし、本当に正解なんてわからない。

そのまた先にも

子どもを育てていると必ず訪れる「義務教育の卒業」「高校受験」。
初めて、“子どもの将来”を 子どもと一緒に考える機会だ。
その時になって「野球が強い高校に行きたい!」と言われれば、間違いなく頑張れと背中を押すだろう。だけどそれは、なんとなく「そこで決まる」と思っている自分がいるからだ。甲子園を目指す。プロからお呼びがかかるか、夢が破れるか。
だけど世界は広くて、その気になれば、中学受験はもちろん、単身海外留学だってできる。
そうなった場合、自分は「行ってこい!」と背中を押してやることができるんだろうか?

未来の自分にモノモウス!

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子育てには正解がない。
わかっていても「結果」や「正しい選択」ばかりを追い求めている大人の自分たちは、つい「どの道が正しいんだろう?」と生産性や効率ばかりを気にしてしまう。
歳をとるにつれて、安全な道ばかり選んでしまう自分がいるが、どうか我が子の“やりたい気持ち”に勝手に限界を決めてしまわない自分でいたいと思う。
自分が子どもの頃とは、社会も変わってるんだ。自分の経験や常識だけで通用するわけじゃない。
子どもと一緒に成長していくしかないんだ。いつか帰路に立たされたときはこの宣言文を読んで初心に帰りたいと思う。